加古川市尾上町 口里(くちり) 安田(やすた) 加古川市別府町 新野辺(しのべ) 加古川市野口町 坂井(さかい) 鵤(いかるが) 長砂(ながすな) 古大内(ふるおうち) 加古川市加古川町 北在家(きたざいけ)
境内末社
由緒略記
文安年間(室町中期)当時浜宮天神社の境内の一部であった。
当時、山城の国、伏見稲荷大社より宇迦御魂大神の御分霊をお迎えしてお祭したのが、起源である。後、戦国乱世の世となり一時荒廃してしまったが、宝暦年間(江戸中期)社殿を改築した。
播磨鑑に山守−ノカミ−明神とある。
戦後、社殿の老朽化が激しく修復不可能となり昭和四十九年現代の姿となる。
鎮座地 加古川市尾上町口里26 山陽電鉄 浜の宮駅西50m
口里 大年神社
由緒略記
創立に関して確実な文献は無いが境内の灯籠に「延享元子年」(1744年)奉納とあり江戸時代中期以前より鎮座していたことが分かる。近年老朽化が激しく戦後改築し現在の姿となる。
当時口里村には四方に小社があり現在の所に合祀したとされる。
元々村民によると住吉神社ではなかったかと聞く。
四神の内、若宮神は近年北方の河川改修のためここに合祀されている。
鎮座地 加古川市尾上町口里255 浜宮天神社より西へ約1km
由緒略記
徳川中期以前の創立と云われる。
新野辺とは新しく切り開いた土地を意味しその村の鎮守として祭ったのが起源である。
また村の東西の境界に戎神社を祭っている。境内には立派な鐘突堂があるが鐘は惜しくも第二次大戦の時醵出させられた。(現在は老朽化のため取り壊されている。)
新野辺 戎 神社
戎 神社(東)新野辺847 戎 神社(西)新野辺2032
鎮座地 加古川市別府町新野辺766 浜宮天神社より東へ約1km
(住吉神社)
由緒略記
創立年代は不詳であるが境内の灯籠に「宝暦四戌四月」(1753年)手水に「宝暦三辰年」(1752年)とあり江戸時代中期にはすでに鎮座していたことが分かる。おそらく新野辺と同様海岸線を開拓し、鎮守として祭ったと思われる。現在の物は戦後立て替えられた。
鎮座地 加古川市野口町坂井30
国道250号(明姫幹線)坂井交差点より 西へ 釣具屋 裏
坂井 稲荷神社(神額に正一位 玉照大神 タマテルノオオカミ−稲荷神の別名)
由緒略記
創立年代は不詳であるが手水に「文政六年」1823年とあり灯籠、鳥居は風化が激しく年代が読みとれない江戸時代後期では無いかと思われる。創立当時坂井村の4角に鎮守様として祭ったと伝えられているが他の神社の所在地は現在分からない。平成の時代に立て替えられた。
鎮座地 加古川市野口町坂井260
国道250号(明姫幹線)坂井交差点より 北約50m
由緒略記
鵤のルーツを探る手がかりとなる。東に宣能寺というお寺があり元ここに氏神として祭った。またここには稲荷神社もまつられていた。神仏混合以前、奈良時代以前よりこの地にまつられていた。(鵤のルーツを探る会 小冊子より)
鎮座地 加古川市野口町長砂 鵤公民館
国道250号(明姫幹線)坂井交差点西へ最初の信号北へ約100m
由緒略記
長砂の村は本来円長寺と長砂に分かれいる。両方にそれぞれ農業神であり土地の鎮守として大年神を祭った物と思われる。穀物の神である倉稲魂神も南方に祭っている。
長砂 大年神社(円長寺)
御祭神 大年神 鎮座地 加古川市野口町長砂1059
円長寺の大年神社境内の灯籠に「文政八年五月」1825年とあり江戸時代後半にはここに鎮座していたと思われる。
長砂 南大年神社
鎮座地 加古川市野口町長砂420
国道250号(明姫幹線)長砂の交差点北へ約1km西へ約30m 中大年神社
国道250号(明姫幹線)長砂の交差点北へ約50m東へ約50m 大年神社
国道250号(明姫幹線)長砂の交差点北へ約800m西へ約50m 南大年神社
由緒略記
創立年代は不詳であるが鳥居に「天明七年潤九月吉祥日」1787年とあり江戸時代後期にはすでに存在していたことが分かる。現在鳥居は風化が激しく危険なため取り除かれた。
氏子内他の神社と同様、当時荒野を切り開いた村人が鎮守の神としてお祭りした。
鎮座地 加古川市加古川町北在家376
国道250号(明姫幹線)鶴林寺西交差点北へ約500m 鶴林寺の裏
北在家 西角大歳神社
由緒略記
村内大歳神社と同様に灯籠の形態及び風化の状態から江戸時代後期にはすでに存在していたと思われる。
氏子内他の神社と同様、当時荒野を切り開いた村人が鎮守の神としてお祭りした。
鎮座地 加古川市加古川町北在家583
国道250号(明姫幹線)鶴林寺西交差点北へ約500m 西方の住宅内
北在家 初辺神社
由緒略記
氏子内他の神社と同様、当時荒野を切り開いた村人が鎮守の神としてお祭りした。大歳神と同様農業神をお祭りしている。
鎮座地 加古川市加古川町北在家2330
国道250号(明姫幹線)鶴林寺西交差点 北へ約800m
北在家 戌亥神社
由緒略記
氏子内他の神社と同様、当時荒野を切り開いた村人が鎮守の神としてお祭りした。大歳神と同様農業神をお祭りしている。上記記載の神社とは東西ほぼ対照に位置している。
鎮座地 加古川市加古川町北在家2179
国道250号(明姫幹線)鶴林寺西交差点 北へ約800m 東へ約100m
住宅地の中
*令和6年10月 浜宮天神社の境内に移築されました。
住吉神社(底筒男命)八幡神社(品陀別命)稲荷神社(稲倉魂命)
琴平社(大物主神)神明社(大霊貴命)春日神社(天児屋根命)
戎 社 (事代主神)祇園社(素戔鳴尊)猿田彦社(猿田彦神) 御祭神一覧
以上が氏子内に鎮座している神社である。各村には基本的に4社鎮座していたらしいが土地整備とか合併とかで無くなった神社が多いのは残念なことである。
また現在都会では緑のある場所の約80%が神社・仏閣であると聞きます。神社の鎮守の森を大切にしたいものです。
道案内の距離は必ずしも正確でないことをご了承下さい。
|